タカラヅカメモ

全組観劇のライトファンによる宝塚感想置き場。

宙組大劇場公演「天は赤い河のほとり」「シトラスの風」/1回目

芹香斗亜がラムセスって時点でちょっと嫌な予感はしてたし、明らかに時間が足りないとしか思えないキャスト発表でそれなりに覚悟はしてたつもりなんだけど、心のどこかに「小柳奈穂子だからそこそこやってくれるんじゃないか」っていう期待があったらしく、見終わってめちゃくちゃ悲しい気持ちになった。どんなに贔屓目に見ても、オブラートで包んでも、駄作の一言だった。原作ファンなのですごく悲しいし、この原作で面白く作れないのって演出家の怠慢でしかないのでは……って思って腹が立ちもする(カンパニーでも同じこと思ったな……)。

ただまあ、レベル高めの駄作だけど不快な作品というわけではない、と思うので、原作に思い入れがなければ(原作が破壊されたことが不快でなければ)意外と楽しめなくもないかもしれない(ただし保証はできない)。なお、原作ファン(特にユーリが好きだった人)には全くおすすめできません。

何が致命的かというと、「天は赤い河のほとり」という作品が「平凡で普通の女の子が理由もなくモテる話」ではない、ってことを小柳奈穂子が理解していないような気がする、あたり(→原作ユーリって(本人の自覚はともかく)明らかに「平凡で普通の女の子」ではないじゃないですか)。どちらかというと、原作においてユーリの描かれ方自体は少年漫画的というか、現代日本では全く必要とされない(だから開花するはずもない)「資質」を備えた少女が、それが求められる状況と立場にある中でそれを徐々に発揮していく、そういう英雄譚を少女マンガでやった、という構造の(そしてそこに一番の魅力がある)話なわけで。そりゃ、英雄がタダの「女の子」に引き摺り下ろされた英雄譚はもはや英雄譚ではないし、そんな話が面白いわけがない、ってのは火を見るより明らかなんですよね。

天は赤い河のほとり」という作品において、カイルよりラムセスより黒太子より、一番かっこよくあるべきなのはユーリなんだよ……ユーリがキャピキャピした「女の子」になってしまった時点で、そして彼女の成長も進歩も何一つ描けなかった時点で、この作品は明確に失敗なんだよ……(脚本の責任であって、星風まどかは何も悪くないです)。

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そういうわけで、尽きない不満とか感想は以下、箇条書きにて。

・「ユーリに魅力がない(=魅力が描かれない)/イシュタルとして支持される根拠となる場面がない」ために、カイルを初めとする男性陣がユーリに惹かれる/ユーリを認める理由が理解できない(=「惚れるに値しない女にあっさり惚れる」せいで、彼らが全くかっこよく見えない)、というのが、多分、一番ダメなポイント(君ら、マジでユーリのどこに惚れたの?どこを評価してるの…?)。あと、「この娘は泉から現れたイシュタルの化身だ云々、私たちの勝利は約束されている云々」ってカイルが演説する前に、すでに、「イシュタル様万歳!」って民衆が叫ぶのがホント意味分からなかった。ノリノリで「ユーリ・イシュタル」って名乗りだすユーリも正直謎。

・でもって、ユーリとカイル関係がほとんど描写されないのと、作中の経過時間が全くないように見える(マジでユーリ召喚~戴冠式が三ヶ月間くらいの話に見える(※))ので、どうしてユーリがカイルを好きになったのかが全然分からない(=なので「残る」という選択に全然カタルシスがない)。ていうか、ユーリが「普通の女の子」過ぎて、「残ること」の意味/その選択で犠牲にするもの、をちゃんと理解してる?覚悟してる?大丈夫??、って心配で仕方がなかったりする。

(※ ミタンニがサイレント滅亡するのも、カイルの即位がまるっと端折られているせいで、「カイル・ムルシリ治世下における最後の戦争となった」って語られる戦いが、明らかにアルムワンダ皇太子の治世下であるようにしか取れないのも別に許せるんだけど、作中の時間経過がないように見えるのは引っかかって仕方がなかった。「一年後、必ず私がお前を返してやる」の一年後って、一体どのタイミングで過ぎたんでしょうね……)

・ナキアがわざわざ日本からユーリを連れて来たのって、カイルを呪い殺すためで、それは直接的な手段ではカイルを排除することができないから(だから呪術で殺す→生贄としてユーリが必要)であるハズなのに、すぐにそれを忘れてガバガバな力技で謀殺し出すのがホント謎過ぎた。それができるなら、最初から呪術なんてまどろっこしいことせずにやっとけば良かったのでは。でもってそのガバガバな陰謀で普通に処刑されそうになるカイルがあまりに無能丸出しでテンション下がった(「有能な皇子」設定が行方不明になってませんかねえ……)。

・原作は長いので、(状況の変化に合わせて)ナキアの行動も二転三転するんだけど、そこはちゃんと因果関係を踏まえた上で再構成しなきゃダメだし、そもそも時間制約のことを考えれば、今回の作品におけるナキアの最終目的は「ジュダの皇位継承」/その手段は「ユーリの確保(=カイルの暗殺)」で一貫すべきだったのでは……

・あと、ティトがウルスラの最も重要な役割を代わりに果たすアイデアはともかく、「主人に早く皇位に就いて欲しかったから皇帝を毒殺した」って従者が告白するのって、庇いたいのか陰謀の片棒担いで留め刺しに来てるのか分からんな……って。序盤に伏線張って、「ナキア皇后のご指示でした」って言わせるべきだった思う(だってそれが一番重要なところじゃん!ウルスラが報われないよ!!)。

・ちゃんと背景とか心情が描かれるのが、ナキアとウルヒ(あとネフェルティティ)だけなので、そこが一番魅力的に見えちゃうというアレ。「産みたくもない皇帝の子を産み、生まれた子は金の髪を持っていた/だから私はあの子を皇帝にしてみせる」のくだりが入ってたことだけは唯一、小柳奈穂子を褒められる(あと、若かりし頃のナキア→現在で歌い継ぐところも好き)。

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・ちゃんと剣が青銅風なのは芸が細かいと思った。

・カイルの異母姉の盲目設定が生きていることに戴冠式で気付いて、お!って思った(できれば目を瞑ってやって欲しかったけど、あそこでそれをやるのは危険すぎるか)。

・澄輝さやとのネフェルティティがめちゃくちゃ良かった。かつてはさぞ美しかっただろうと思わせるような立ち姿の、どこか人生に倦んでいる女性。「生きていくためには仕方がなかった」というのは確かに一面の真実ではあって、「そうではないはず/私はそうはならない」っていうユーリの眩しさは確かに尊いんだけど、誰もがそうは生きられない、という残酷さも秘めているよなあ、と。残念ながら舞台のユーリにはそんな深みもバックグラウンドもないんですけど(だってまだ来て三ヶ月くらいだからね仕方がないね(!))。

・「泉を壊してしまえ」っていうナキアの指示をイルバーニが聞いてるのって、「ユーリ様にはこの国に留まって頂く」の伏線というか、原作リスペクトだと思うんだけど、まあ、状況も環境も変わった舞台でそれやってもね……っていうか、ナキアの目的はほぼほぼ達成されてるから別に泉もユーリももうどうでもよくない?

・純矢ちとせのナキアがすごく良かっただけに、ナキアとウルヒをラスボスにして、ちゃんとユーリとカイルの関係メインで、カイルの即位まで、くらいを再構成すれば良かったのに……って心底惜しい。芹香斗亜(二番手役)をザナンザかウルヒにしてさあ……(ぐちぐち)。

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・ショーはそれほど期待していなかったせいか、すごく良かった。芝居の傷が癒された。まあ、再演を繰り返しているとはいえ、シトラスの風を生で見るのが初めてだから、というのはあるかもしれない。映像で見ている時は、「明日へのエナジー」がそれほど名場面だと思わなかったんだけど、生で見ると確かにいい場面だった。迫力に圧倒された。あと血管ブチ切れそうな娘役の高音が印象的。誰だろう。美風舞良?

・ステートフェアの傘を回して歌う可愛い子ちゃんたちの中に、純矢ちとせと美風舞良が混じっている(というか、星風まどかを挟んでメイン張ってる)のにちょっとびっくりした。え、これ、可愛い子ちゃん枠じゃない…の……? どういう人選なんだろう……

・決闘の場面が期待通りすごく良かった。朝夏まなとシトラスの風だと、芹香斗亜のところに寿つかさが入っていたので、パトロン感が半端なかったんだけど、今回は真っ当に真風涼帆が間男している感じ(!)。あの、片手上げて急に座り込む振付が結構好きです。

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そういうわけで、来週も行って来ます。